ドイツ発 Joe nimble(ジョー・ニンブル)
JOE NIMBLE(ジョーニンブル)はトーフリーダムとファンクショナルシューズの考えを組み込んだファンクショナルフットウェアの先駆者です。
1982年に親会社のBÄR(ベアー)社が創業して以来、ベアーファミリーはトーフリーダムの考え方を靴のラスト設計に組み込み、動作中の足の安定感向上を追求し靴を開発してきました。JOE NIMBLEとBÄRは、トーフリーダムの基本的な考え方は共通していますが、より人々のアクティブなライフスタイル―ハイキング、ランニング、ウォーキング、ヨガ…に密着したブランドがJOE NIMBLEです。
代表のセバスチャン・ベアー氏は、生涯を通じて痛み無くランニングを楽しんでもらいたいという思いを持って、JOE NIMBLEを育ててきました。バイオメカニストのリー・サックスビー氏と共に、科学的なアプローチで、安定感があって痛みの出にくい靴を日々開発しています。
JOENIMBLEのメリット
ファンクショナルフットウェアとは
ファンクショナルフットウェアのデザインコンセプトは、toefreedom®(トーフリーダム)の原理に基づいています。足の機能を改善し、痛みと無縁のランニング生活を送る第一歩は、トーフリーダムから始まります!
Toefreedom®(トーフリーダム)とは
革新的なソリューション
特に親指の機能低下はランナーにとって大きな問題となります。足の親指は、身体の自然な回内運動をサポートするだけでなく、地面を蹴りだす推進力の最大 10% を生み出すからです。
toefreedom®(トーフリーダム)がこの問題を解決します。トーフリーダムとは下図のような本来の足形に合わせて前足部を広くとった靴の構造のことを言います。十分なスペースがあるため、親指をはじめとする足指は柔軟性を失わず、本来持っている力を発揮することができます。指が広がることでつま先がしっかりと地面を捉え、身体を安定させることが出来ます。
好影響は足に留まりません。足が安定することで身体の残りの部分からは余分な力が抜けるため、関節や筋肉への負荷が下がり怪我の予防へとつながります。
Joe nimbleが考える 『 足の機能の科学 』
左側ランナー:
-足形に合っていない従来のランニングフットウェアを着用しています。
-足の親指が内側に押し込まれることで「外反母趾」が作られ、親指の向きがランナーの進行方向と一致していません。
-親指の骨と筋肉、腱は十分に働かず、前足部の安定感を損ない、身体を支える役割も十分に果たせません。
つま先の機能と前足の安定性の欠如により否定的な結果となります。
ランナーは、姿勢の不安定性を制御するために、脛、膝、股関節の筋肉の活動を増加させることで、これを補うことを余儀なくされます。しかしこれらは、筋肉群への疲労と怪我のリスクを増加させます。
右側のランナー:
-トーフリーダムの機能が盛り込まれたファンクショナルフットウェアを着用しています。
-これにより、親指の向きはランナーの進行方向と一致し、スペースが与えられることで親指の筋肉・腱は最大限機能を発揮します。つま先は体重をしっかりと支え、ランニングにおいて最も重要な推進局面(地面をつま先で押し出す局面)において、安定性を確保して力強く地面を押すことを可能にします。
ゼロドロップシューズ
裸足で進化してきた人類は、水平な地面に立つときに体重を足裏へ均等に分散できます。ゼロドロップシューズとは、前足部と後足部の高さに差が無い=ドロップがゼロの靴です。踵が前足部より高く作られている一般的な靴と違い、ゼロドロップシューズは地面に裸足で立つような感覚を得られます。
小さすぎる鉢植えでは植物が上手く育たないように、足も小さい靴では変形して機能を損なってしまいます。足指、特に親指が本来持っている機能を十分に発揮するためには、木の根が伸び広がるように十分なスペースが必要です。
木はその根と同じくらい強いだけです。
TOEFREEDOM®の歴史
人々はファッションのルールに従って生きています。
暗黙のルールに従って、ヨーロッパの人々は16世紀以来、左右対称の靴を履いてきました。合っていない靴に押し込まれた足は、歩くたびに機能を損なっていきました。
ここでは、JOE NIMBLEの掲げるTOEFREEDOM®のコンセプトが、どのように生み出されていったのかご紹介いたします。
親指の重要性について先見の明があった人物、左右対称の靴を作る靴業界・ファッションデザイナーに反旗を翻した人物、JoeNimbleは彼らを「Heroes of TOEFREEDOM - トーフリーダムの英雄」と呼びます。
1781年 ペトルス・カンパー
「人間の足は左右非対称な形をしているのに両足とも左右対称な形をした靴を履くのは、古くて合理性に欠ける慣習だ」とオランダの医師ペトルス・カンパー(1722-1789)は著書「靴の最良の形について」(1781年出版)に記しています。
カンパーは当時学術界で名の知れた医師でした。著書の中で、自身も苦しんでいた足の痛みに怒りを示し、当時の靴の欠点を批判しました。欠点とは、左右対称の非合理的な靴の形で、その形によって足の親指が押し込められることです。
1792年 ベルンハルト・クリストフ・ファウスト
ベルンハルト・クリストフ・ファウスト(1755-1842)は、ドイツで医師一家に生まれました。ファウスト自身も医師になり、一般の市民の健康に強く興味を持っていました。著書「衛星問答」(1792)に健康問題を改善するための提言を記していますが、その一つが左右対称の靴を避けることでした。「靴は足と同じ形でなけ ればならない。したがって、左右同じ形の靴を作るのではなく、足の形に合わせて左と右別々の形に作る必要がある。」と述べています。
残念ながら、カンパーやファウストの主張は浸透せず、左右対称の靴を履くという悪しき慣習を変えることは出来ませんでした。
1857年 ゲオルク・ヘルマン・フォン・マイヤー
ゲオルク・ヘルマン・フォン・マイヤーは1815年にドイツのフランクフルトで生まれ、1892年に亡くなりました。フランクフル ト、ハイデルベルク、ベルリンで医学を学び、テュービンゲンで解剖学と生理学の外部講師を務めた後、1844年にチューリッヒ工科大学へ入学しました。
マイヤーの重要な功績は解剖学に関するものでした。1858年には履物に関する批判的な文章を残していて、左右対称の靴は歩行時のエネルギー伝達を妨げて健康上の問題を引き起こしうるという結論を導いています。「足は靴と比べて柔軟性があるため、靴が足と同じ形でない場合は足が靴の形に合わせます。つまりは足が変形するということであり、痛みを伴うため望ましくありません。」
マイヤーは「歩行を楽にしてくれるような足に優しい靴は、必ず足の形と合った形をしていなければならない」と言い、解剖学の観点から次のことを強く強調しました。「足の親指が正しい位置にあることが最も重要です。そのためには、親指の中心線を後方へ伸ばしたときに踵の中心点と交わるように、親指が位置する必要があります。」
この中心線は後に「マイヤーズライン」として知られるようになりました。
1905年 フィル・ホフマン
1905年、アメリカの医師フィル・ホフマンが、日常的に靴を履いている人の足形を、靴を履いたことのない先住民の足形と比較しました。この研究により、対称的な靴が足の形と機能、特に足の親指の形と機能に重大な悪影響を及ぼしていることを発見しました。
ホフマンは、不自然な靴の形が原因で多くの変形が生じていると断定し、靴業界の無知とファッションのために足を犠牲にする利己主義的な考えを非難しました。
1912年 エドワード・マンソン少佐
米軍の研究により、先人たちが示した足形に関する知見はより深化しました。陸軍靴委員会は4年間で2,000人の兵士の足を調べ、1912年に研究結果を踏まえて靴型の根本的な再設計を行いました。陸軍靴委員会のトップであり米軍所属の心理学者だったマンソンにより、マンソンラストが開発されたのです。19世紀にマイヤーが残したマイヤーラインとtoefreedomに焦点を当てたラストで、足形に合わせた自然な非対称の基本的な形状のラストでした。これが、履き心地の良い足形をしたマーチングブーツが誕生した瞬間でした。
以降、アメリカの開発したブーツは、第二次世界大戦が終わった後も長い間使用され続け、米兵だけでなく世界中で愛用されました。
1913年 ワンダーフォーゲル(ドイツ語 で「鳥のハイキング」)
アメリカで新たな軍用ブーツが生み出されていた時、ほぼ同時期にドイツで「ワンダーフォーゲル」ブームが起きていました。1907年にフォルケ氏が次のようにコメントしました。「運動文化が席巻している中では、衣服は体にフィットするように作られるべきである。これは履物も同様で、足に合わせて靴を作るべきで、靴に足が合わせるべきではない。」
しかし、当時の靴のファッションは変わらず、中央が尖った細い形のままでした。
1941年 ウィルヘム・トムセン教授
ドイツの医師であり、研究者でもあったウィルヘルム・トムセン教授(1901-1974)は、足の健康に強く関心を持ち、40年以上にわたって靴の最適な形状を研究しました。著書「KampfderFuBschwache – 弱い足との闘い」(1939年出版)は何度も重版され、およそ400の科学論文に引用されました。トムセンの「トーフリーダム」への貢献は特筆に値します。
しかし、学術界で広く認識されたトムセンの呼びかけも、靴業界ではほとんど無視される結果となりました。当時のファッションに敏感な女性たちは、健康よりも左右対称の足先の尖った靴を履き続けることを選びました。
1982 クリス・チャンバー
1982年、ドイツの起業家クリスチャン・ベアーが、自分のために靴を作ることを決意しました。ベアー自身が何度も足の痛みに悩まされてきたため、「no more painful feet – 足の痛みよ永遠にさらば」が開発のモットーでした。靴の開発はドイツのピルマセンスでラストメーカーGerhard Motschと共同で行われ、解剖学的観点から見た足の形状と裸足で歩く時の感覚を重視しました。その結果、当時のファッションの流行と完全に異なるデザインが生み出されました。このラストには、前足部を広くとった「トーフリーダム」と、足裏が水平に保たれた「ゼロヒール」のコンセプトが盛り込まれていました。
「こんなものを誰が買うんだ?」ベアーが最初のコレクションを発表したときの小売店の反応です。しかし、先見の明があったクリスチャン・ベアーは決して諦めませんでした。小売店を介さず、直接商品を消費者へ届け始めたのです。現在では、ベアー社は40年の歴史を持つ「トーフリーダム」の先駆者となりました。クリスチャン・ベアーは、慣習を知らない業界の部外者であっても、信念を貫けば成功できることを示した。
2019 セバスチャン・ベアー
クリスチャンの息子セバスチャンが、ジョーニンブルを完成させました。セバスチャン・ベアーは若くして靴業界で経験を積み、靴に関する幅広い知識を持っています。
1990年代、アメリカの高校でクロスカントリーをやっていたセバスチャンは、「トーフリーダム」の靴で走っていました。セバスチャンはトーフリーダムの靴を履いて州大会で準優勝もしましたが、時に一見奇妙に見えるその靴は同級生の嘲笑の的となりました。それでもセバスチャンはトーフリーダムの靴を履き続け、身をもって性能を証明していきました。1992年に初めて出たハーフマラソンでは、まめも出血もなく完走しました。数年後、世界で最も過酷なレース「バッドウォーター・ウルトラマラソン」にジョーニンブルが挑むことになりました。このマラソンはデスバレーを217km走り抜ける過酷なもので、従来のランナーは約12足もの靴を用意して挑んでいました。その過酷なマラソンで、セバスチャンの靴は怪我もランナーの足を痛めることもなく、1足で完走することに成功しました。
セバスチャンはランニングコーチ リーサックスビーと協働し、さらなる良い靴を求めて「トーフリーダム」の運動靴を開発しています。